最高裁判所第一小法廷 平成11年(受)94号 判決 2000年9月07日
上告人
甲野一郎
右訴訟代理人弁護士
樋渡俊一
被上告人
乙川花子
外二名
右両名法定代理人親権者
乙川花子
右三名訴訟代理人弁護士
田邨正義
横井弘明
同訴訟復代理人弁護士
佐野真
主文
原判決を破棄する。
本件を東京高等裁判所に差し戻す。
理由
上告代理人樋渡俊一の上告受理申立て理由第二点について
一 原審の確定した事実関係の概要は、次のとおりである。
1 被上告人乙川花子は、昭和五五年一二月九日、乙川太郎(昭和三六年二月二一日生)と婚姻し、同人との間に、被上告人乙川春子(昭和五八年一月二四日生)及び同乙川夏子(昭和五九年一一月二一日生)をもうけた。被上告人らは、平成四年当時、その生活を太郎に依存していたところ、太郎は、同年九月八日に殺害されたが、上告人は、右殺害行為の実行前に、その正犯から依頼を受けて偽装工作をすることを約束し、これにより、右殺害行為を容易にした。
2 太郎は、平成三年度には七八〇万円の収入を得ていたが、他方、約四八億円の負債を抱えていた。太郎の相続人である被上告人らは、相続の放棄をした。
二 本件は、被上告人らが、上告人に対し、太郎から受けることができた将来の扶養利益の喪失等の損害についてその賠償を求めるものであるところ、原判決は、前記事実関係の下において、上告人は太郎の殺害行為の幇助者として不法行為責任を負うとした上で、次のとおり判示して、被上告人らの請求をいずれも認容した。
太郎が殺害されることがなければ、被上告人らは、太郎の収入の一部を扶養料として享受することができたといえるが、太郎の約四八億円にものぼる債務が太郎及びその家族である被上告人らの生活に影響を及ぼしたであろうことも否定できないから、扶養権侵害による損害額の算定の基礎としては、死亡時前年度の年収七八〇万円をそのまま用いるのは相当でなく、賃金センサス平成四年第一巻第一表・産業計・企業規模計・学歴計・男子労働者の平均年収額五四四万一四〇〇円を用いるのが相当である。太郎は、満六七歳に達するまでの三六年間は就労可能であったものであり、その間は少なくとも右金額程度の収入を得ることができたはずであり、その間の同人の生活費として、同人が世帯主であることを考慮して右収入額の三割を控除し、ライプニッツ方式により中間利息を控除して計算すると、太郎の死亡による逸失利益は、六三〇二万六四三〇円となる。そして、被上告人花子は、太郎の妻として、その二分の一の三一五一万三二一五円について、また、被上告人春子及び同夏子は、太郎の長女及び二女として、右逸失利益の各四分の一の各一五七五万六六〇七円について、それぞれ扶養利益を喪失したものと認めることができる。
三 しかしながら、原審の扶養利益の喪失による損害額の算定についての右判断は是認することができない。その理由は、次のとおりである。
1 不法行為によって死亡した者の配偶者及び子が右死亡者から扶養を受けていた場合に、加害者は右配偶者等の固有の利益である扶養請求権を侵害したものであるから、右配偶者等は、相続放棄をしたときであっても、加害者に対し、扶養利益の喪失による損害賠償を請求することができるというべきである。しかし、その扶養利益喪失による損害額は、相続により取得すべき死亡者の逸失利益の額と当然に同じ額となるものではなく、個々の事案において、扶養者の生前の収入、そのうち被扶養者の生計の維持に充てるべき部分、被扶養者各人につき扶養利益として認められるべき比率割合、扶養を要する状態が存続する期間などの具体的事情に応じて適正に算定すべきものである。
2 これを本件についてみるに、原審は、太郎の前記債務の負担状況にかんがみ、扶養利益喪失による損害額の算定に当たり、同人の死亡時前年度の年収七八〇万円をそのまま用いることなく、前記賃金センサスによる平均年収額五四四万一四〇〇円を用いるべきであると判断しているが、太郎の債務負担額が約四八億円にも達していることにかんがみると、なおこれを是認することはできない。また、太郎の逸失利益全額をそのまま被上告人らの扶養利益の総額とし、これを被上告人らの相続分と同じ割合で分割して、各人の扶養利益の喪失分とした点、並びに被上告人春子及び同夏子については、特段の事情がない限り、太郎の就労可能期間が終了する前に成長して扶養を要する状態が消滅すると考えられるにもかかわらず、右扶養を要する状態の消滅につき適切に考慮することなく、扶養利益喪失額を認定した点は、前記1に判示した事項を適正に考慮していないといわざるを得ず、扶養利益喪失による損害額の算定につき、法令の解釈適用を誤ったものというべきである。
四 以上のとおり、右に述べた各点について、原審の判断には判決に影響を及ぼすことが明らかな法令の違反がある。論旨は理由があり、原判決は破棄を免れない。そして、以上の説示に従い、被上告人らの喪失した扶養利益の額について更に審理を尽くさせるため、本件を原審に差し戻すこととする。
よって、裁判官全員一致の意見で、主文のとおり判決する。
(裁判長裁判官遠藤光男 裁判官井嶋一友 裁判官藤井正雄 裁判官大出峻郎 裁判官町田顯)
上告代理人樋渡俊一の上告受理申立て理由
第一 <省略>
第二 損害額(扶養権侵害の場合の民法七一九条(あるいは民法七〇九条)により賠償すべき損害の範囲)
一 仮に申立人について、被申立人らの扶養権侵害の事実が認められたとしてもその場合に、申立人が賠償すべき損害の範囲については問題がある。仮に関与があったとしても、申立人の程度の関与で、実行行為者らと同じ責任を負うべきであるのか、大いに疑問のあるところである。すなわち、本件は、申立人について一部賠償責任の法理が働かなければ、実質的に不合理である。
二 次に、仮に一部賠償責任の法理の問題はおくとしても、次の事情を考慮せずに原判決が損害賠償の範囲を決めたことは誤りである。
1 原判決は、太郎と被申立人花子との夫婦関係が、太郎死亡時点(平成四年九月)においてすでに実質的に破綻していた事実を無視している。すなわち、原判決自ら、太郎は昭和五五年一二月に婚姻した被申立人花子がありながら、昭和六二年ころから(平成四年九月までの五年間)秋子と同棲関係にあった事実を認定しているにもかかわらず(一八頁)、この点を扶養権侵害による損害額を認定するにあたり無視している(三八頁等)。太郎は、秋子との同棲生活のために多額の金員を費やしていたのであり、そのことにより、被申立人花子らを十分に扶養できなかったものである。
2 次に、原判決は、被申立人花子が稼働して、平成九年一二月当時で月額一〇万円の給与を得ていた事実(第一審原告花子本人尋問結果(調書第九項))を無視している(三七頁等)。一般に、扶養権侵害による損害額を認定するにあたっては、「幼児のない寡婦は、損害軽減義務により就労すべきであるから、相当期間経過後の扶養利益分については、適当な減額を行うべきであ」るとされているのであって(四宮和夫著・現代法律額全集「不法行為」五九一頁等)、被申立人花子自身に所得があることは、同人らの扶養権侵害による損害額を算定するにあたり、当然考慮されなければならない事項である。
3 さらに、原判決は、被申立人春子及び同夏子について、太郎が満六七歳に達するまでの三六年間就労可能であったとして、その間、同被申立人らが太郎に扶養されてたであろうことを前提に扶養権侵害に基づく損害額を認定している。しかしながら、太郎が満六七歳に達したであろう平成四〇年二月二一日には、被申立人春子は四五歳に、同夏子は四三歳にそれぞれ達するところ、一般に年齢が一八歳を超えた子は、当然には親に扶養されるとみることはできない。右被申立人らが一八歳を超えた後も、なお太郎に扶養されることを前提に扶養権侵害に基づく損害額を算定するのは誤りである。
三 以上のとおり、原判決は損害額の算定においても、重要な争点を含むものである。